いろんなこと記念日

なんでもない平日なはずだった。
あるとすれば久々に地震を体感したこと。
ゆれる小便小僧とともに。

ご飯に誘われて、改めて結婚報告を受ける。
式の日取りまで聞いて、実感が湧いてきた。
結婚するのだ、一番の仲良しが。
「遠くへ行っちゃうみたい」とはまさにこのことか。嬉しいやら寂しいやら、比べて自分は…とみじめやらだが、晴れやかな姿が非常に楽しみである。眩しくて目も当てられないんだろう。

帰ると弟が呼ぶので軽くあしらっていたが、しつこかったのは理由があった。よく知らない間に大学に合格していた。薄情な姉だな〜と思いつつ大喜びの父親に空笑いしてしまった。薄情だ〜。
大学受験に合格するくらいの能力と努力があったんだなぁ…とかもう弟も大学生なのか…と夢心地でなんだか上の空になってしまった。他人事のようにすら思える。私は昔から実感というものが自分の中に起こらず溜まらず、右から左へ通過していくようであった。懸命に止めたいと思ってはいるのだが、まだその方法は見つかってはいない。

お風呂から上がると、父親が「今日は父親の誕生日」だと言うから少し驚いた。父親は自分の両親の話を避けてきたので。亡くなった経緯や理由については「うちらしいな」と弟。そういうもんか。祖父と同じ教職を選んだ私なので、そういう血を辿ってるんじゃなかろうかと不謹慎にも輪廻を感じた。まぁそんなわけないけど。

私の歴史、中々濃くなってきている。


無題


先日お誕生日会の司会をやった。
初めての司会は園長先生の登場を待たずにスタートするという盛大な出鼻のくじきようであった。トップを置き去りにする新参者とは、今考えると血の気が失せる。
その後はなんとかなったようである。ようであるというのは以後意識がないのだった。「声が震えてた」「緊張感が伝わってきた」「手紙の持つ手が震えすぎて見えなかった」などとどうやら凄まじい緊張っぷりだったようである。担任の先生に至っては「私の方がハラハラしたわ!」と迫られた。全くいい人である。

うちの園長先生は身内に大変甘いので、会議内容もよそに「福田先生の司会よかったわよ〜!声がいいわ!」とベタ褒めして下さった上に、その日の日誌に赤字で「とても素敵でしたよ」と褒め殺しコメントまでいただいた。赤ペン先生もここまでは殺せまい。

子どもみたいに嬉しい気持ちで父親に報告すると「『素敵』って言葉が素敵やな」と言われた。なるほど確かに、この上なく素敵である。(語彙力レベル2)

煌びやかだとか厳かだとか派手さも素朴さもひっくるめて自分の琴線に触れるものを表す表現として「素敵」はとても気持ちがよく、しっくりくる。
そして私の中では憧れも深く関係してくる。

ルーシー・モード・モンゴメリー著「赤毛のアン」では、アンが初めてグリンゲイブルスを訪れ、色んな景色に目を輝かせる。家の真横を流れる小川、並木道を作るりんごの樹木、そのすべてにうっとりしたように、時には両手を広げて「素敵!」と表現する。
なるほど中学生という多感な時期に私の中に「素敵」の意味を吹き込んだのは赤毛のアンであった。


そして23歳、人に「素敵」と言われる歓びを噛み締め、さらなる高みで自分を「素敵」と称賛できる大人になるべく、しかし素敵なものを素敵と言える純粋な気持ちも忘れず、
素敵な大人になりましょう。

ブログかきたい

常々思っているのだが、本当に書くことがない。

先日蕁麻疹と診断された。それはそれはもう烈火の如くかゆい!!!!全身に広がった日は地獄だった。首から足首まで浮腫が広がり、世界地図なんてもんじゃない、全て陸続き。
そしてその全てがかゆみを伴うのである。蕁麻疹、正直なめていたがすっかり病人気分になり、ハワイやらグアムの写真やらを眺めては「もう一生こんな風に心から楽しめないんだ…」と陰鬱な気持ちで引きこもり、療養ごっこしていたので本当に話題がない。家でひたすら耐久レースなのだ。

その上私は「自由度が高い」というのがもっぱら苦手である。
グラセフなんて絶対無理だね。移動だけでも歩く、走る、自転車、バイク、車から空も飛べる。絶対嫌だ。一人で家を歩きって間取りを把握する他ない。ファイファンだって分岐ルートを作られると即積みである。追加なんていらねえんだよ!チャラつきやがって!

あっこういう時のお助けマン「お題」!いいのがあるじゃないか〜なになに…今日のお題は「プレゼンしたい本」か……とくに、思い浮かばんな……………お、ランダム機能。……「プレゼント」うーーーん、苦手………次は…「最近涙したこと」………蕁麻疹………って選り好みしとったら意味ないやんけ。クソ。

人は思考し続ける生き物である。選択に至っては毎日40000回してるとかなんとか。
美しくはないが、ここまで意外とかけてしまった。本日の学び「蕁麻疹は立派なネタになる。」

以上。

4月1日

幼稚園勤めもちょうど一年。
他の人が苦労した一年とはちょっとズレて、いやだいぶズレて、先輩と担任の先生の虎の威を借る狐如く、背中に隠れるどころからおんぶにだっこ状態。
そのせいか気持ちもいつも通り。もともとの「なんとかなるやろ」精神もそろそろ病的に、どこからくるねんこの自信。

それでも、だからこそ人よりできないことがあるという自覚をコンプレックスに変え、コンプレックスを努力に変えるのです。

必死になろう私。